明日から夏休み・・・ということは、今日で学校はおしまい。
ラストディだ。
私たちにとってはこれで本当に最後の登校になる。
だから、なんだかこの一週間はバタバタドキドキソワソワだった。
パソコンも見る時間もないほど忙しくしていた。
ということは。。。どれだけ普段は???アハハ暇だったのね(笑)
最後のスクールバス・・・バス停が家の前だから去年の秋から寒いので家の中からお見送りしていた私だけど、今日は最後だから外に出てお見送り。
こんなに楽して学校に行くのも今日で最後よ。9月からは思いランドセル背負って歩いていくのよ!
その後を追って、旦那と二人で学校へご挨拶に。
も~~車の中でもウルウルしてしまう。
2004年10月4日。
子供たちが初登校した日だ。忘れもしない。
旦那は仕事で、ホストファミリーのジョンが朝車で40分のところからわざわざ来てくれて私と一緒にこんな風にバスに子供たちを乗せた後追いかけていったっけ。
私も緊張していたけど、子供たちの顔。今でも覚えている。
娘は澄ましていたけど心の中は緊張していたに違いないし、長男のあの不安そうな顔。「ママ怖いよ・・・」って私の洋服を握った。私は一緒に泣きそうだったのをグッと抑えたことが昨日のことのように思い出される。
受付の2人の方たちにも私はとてもお世話になった。
彼女たちに最初に挨拶に行き、3年間のお礼をいった。学校に来ると、まずここに入り名簿に名前書いて、ネームをつけて。
すると、彼女も「私初めてきたときのこと覚えてるのよ。とっても緊張していたよね。でも英語もとても上手になって、うれしいわ~。寂しくなるわ~。」と言ってくれる。
もうそれだけで涙が出てきた。いつも私たちのことを温かく見守ってくれていたんだ。
英語アレルギーで外人恐怖症の私が心を開くことができ、私の身振り手振り、へたくそな英語をお母さんのようにウンウンって聞いてくれた。
なんでもさ、受付を見れば中身がわかるっていうけど、まさしくそのとおりで、とてもこの学校はいい学校だった。
そして、学校を一回りしてお世話になった先生たちに会うことにした。
受付を出て歩き出したとたんに、涙があふれてきた。
この3年間何度となく通ったこの学校。
最初は迷路のような学校で教室がどこにあるのかわからず迷子になったのが、今ではスイスイ歩くことができる。
なにより、一番思い出に残っているのは次男がキンダーに通っていた去年だ。
ボランティアということで、ほぼ、すべてのボランティアに参加していたからだ。
ボランティアなんて名ばかりで、私の英語の勉強のためと言ったほうがいい。
最初はやっぱり不安で不安で行きたくないなぁって思ってたこともあったけど、ほかのお母さんたちもとてもいい人たちばかりで英語の話せない私を見捨てず、ここまで育ててくれた(笑)
そして子供たちもとても仲良くしてくれてみんなとってもいい子達だった。
ここで私はたくさんのお友達を作ることができた。
友達は今でもあのキンダーのクラスの子供たちはみんないい子達だったっていってる。いいクラスだったって。やっぱりねぇ~。
そして思い出をかみ締め、次男のクラスへ到着。
その瞬間こらえきれず泣いてしまった・・・。
やだよ~年取ると涙腺ゆるんじゃって・・・爆
クラスで写真も撮らせてもらい、ご挨拶をし。
次男はこっちにきて一年間は日本の幼稚園生活とは違って週二回しかも午後だけというとても暇な生活を送らされ、その間も私が英語の勉強をしていると泣きながら「ママ!英語はなさないで!英語嫌い!」といっていた。彼はお友達がいなくてとても寂しい思いをした時期があった。
キンダーに入ってからというもの、一気にたくさんのお友達ができ私の交際範囲も彼のおかげで広くなった。彼のお友達のお母さんが今の私のお友達だ。
あんなに英語話さないで~と言っていた彼がいまでは一番英語はなしているよ(苦笑)
そして長男は最後の日ということでボーリングに行っているのでまた午後来た。
彼も3年生のときお弁当で持っていったおにぎりのノリのことを言われそれ以来残してくるようになり、しまいには持っていかなくなったり、クラスが変わってなかなかお友達ができなくて寂しい思いをしていた時期もあった。
でも、今は仲良しのお友達のたくさんできてお泊りにいったり、遊びに行ったりうちに来てもらったりととても楽しく過ごしている。
彼の英語力はすごい。現地の4年生のなかでも上位にいるといわれ、サイエンスやソーシャルのレポートのがんばっているし、リーディングもかなりレベルアップしたようだ。天晴れ!
そのかわり、私のいうカタカナ英語が通じません。
「ポール遊びに来るんでしょ?」
「・・・・・?」
「ポールくるんでしょ?!!!」
「え?だれ?なにそのポールって?」
「(ムカっ)」
「Poulのこと?←パー?英語発音のためうまくかけません」
そういうことなんだよね。英語ってカタカナにできないものなのに、日本ではカタカナで書いたりするのでこういうことになってしまうわけだ。
「カタカナでは
ポールっていうんです!」と開き直る母。
初登校の前の夜、娘と長男のために、単語カードを作った。
お腹が痛いです。トイレに行きたいです。学校で使いそうなことをカードに日本語と、英語とカタカナとで書いて持たせたっけ。
学校に行って話したかったことや言いたかったことをカードに追加して持っていっていたけど、いつの日かそのカードも使わなくなったね。
すごいことだよ。
長男最後の授業、スパニッシュ。彼ったらスペイン語まで授業受けてるんだよね。好きみたいでいつも授業があった日にはスペイン語のホルダー片手に教えてくれて。
本当に。私の子供とは思えないほどすばらしい!いや・・・私の子供だからすごいんだ!ちょっとアメリカ風ですが(笑)本当に誇りに思うよ。自分の子供を誇りに思えるってすごいよね。そんな自分もなんだかうれしい。そんな誇りに思える子供たちの母なんだもの。
がんばったのは子供たちなのに泣いているのはなぜ私??みたいな(笑)
こうして、3年間お世話になったキンバリーレーンに別れを告げた。
ありがとう。
娘、ミドルスクール最終日